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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤川 次郎(あかがわ じろう、1948年2月29日 - )は、日本の小説家。福岡県福岡市生まれ。血液型はA型。桐朋高等学校普通科卒業。1996年度より金沢学院大学文学部客員教授。父親は満洲映画協会、東映動画元職員の赤川孝一。
三歳の頃に手塚治虫の漫画に影響を受け、小学生の時には漫画を描き始めるも挫折。中学時代に『シャーロック・ホームズの冒険』に出会い、三年の時に見よう見まねで小説を書き始める。勉強は国語と英語以外、特に数学と体育が苦手で、受験勉強も全くしていなかった為、大学受験に失敗する。実の父は、長編アニメ『白蛇伝』を手がけた赤川孝一であるが、諸事情から別居しており、幼少時もほとんど顔を合わせていない。
卒業後は日本機械学会事務局に就職。数年間勤務した後、このままでは小説が書けなくなってしまうと危惧し、1975年頃から小説(シナリオ)を投稿するようになり、1976年、「幽霊列車」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。1978年には『三毛猫ホームズの推理』がベストセラーとなり、以後この連作を中心に人気作家になる。「三姉妹探偵団」シリーズや「杉原爽香」シリーズなど、さまざまな人気シリーズを抱える、ライトミステリーの旗手的存在。一度「上役のいない月曜日」が直木賞候補にも挙がった事がある。推理小説のほか、ホラー、恋愛物も多く書く。作品に『セーラー服と機関銃』『ふたり』など。
誕生日が2月29日であるために、1988年に刊行された「三毛猫ホームズ」シリーズのカッパ・ノベルスによる著者紹介では「今年で10歳になった、ということになってしまう」と記載されている。2006年8月現在で作家生活30年を迎え執筆作品は480作に達した。累計発行部数は3億部を超える。
ほとんどの小説家が、ワープロやパソコンを用いて作品を執筆しているにも関わらず、赤川は頑ななまでに原稿用紙への「手書き」を続けている(本人曰く「手書きの方が早い。」とのこと)。多忙ゆえに複数の連載を抱え、小説の登場人物一覧表を書斎に貼り付けていた時期があった。自身でも混乱をきたすことがあったからと思われる。
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