忍者ブログ
いろんなものや人、動物との出会い
[17]  [16]  [15]  [14]  [13]  [12]  [11]  [10]  [9]  [8]  [7
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

相田 翔子(あいだ しょうこ、1970年2月23日 - )は日本女優歌手タレント。元アイドル歌手デュオWinkの一員。

東京都東村山市出身。所属事務所アップフロントエージェンシー私立文華女子高等学校卒。身長は160cm。血液型はB型。星座うお座

1970年2月23日東京都東村山市に生まれる。芸能界デビューして一人暮らしを始めるまで、家族と共にこの地で育つ。幼少の頃から歌が好きで、よく1歳年上の姉とピンク・レディー等の歌を歌っていたという。

中学2年の時に、友人の応募でオーディションを受けたことを契機として、芸能プロダクションに所属し、歌手としてのレッスンを受け始める。高校2年の時にはソロ歌手デビューの話があったものの、校則で禁止されていたのでデビューを断念している。

1987年9月ワニブックス社の雑誌『UP TO BOY』の第9代ミスアップ・グランプリを受賞する(第7代グランプリが後にデュオを組むことになる鈴木早智子)。

1988年4月、高校卒業後に鈴木早智子とWinkを結成し、『Sugar Baby Love』で歌手デビューする。

1989年、シングル3作目となる『愛が止まらない ~Turn It Into Love~』(フジテレビドラマ『追いかけたいの』の主題歌)でブレイクを果たす。以降、1990年3月にリリースされた『Sexy Music』まで5曲連続オリコンチャート1位を獲得し、この間人気は頂点に達する。

1989年12月には『淋しい熱帯魚』で第31回日本レコード大賞を受賞している。

デビュー当時の翔子は、頼りなげな素人っぽい雰囲気を残し、ブレイク前の1988年夏のキャンペーンでは、どこに行っても観客が入らず、楽屋で泣くこともあったという。1歳年上の早智子を「すごく優しくて、お姉ちゃんのように相談できる」と慕う一方、「どんどん勉強して実力をつけて、自分の書いたものを人に見てもらえるようになりたい」と作詞に対する意欲を語っている[1]

Wink時代、特に全盛期には笑わないアイドルとして知られる。このことに関して、本人は「当時は突然の人気に戸惑い、ずっと緊張が解けなくて笑うことができなかった」と回想している。その一方で、オルゴール人形のように無表情で独特な振り付けは、Winkのキャラクターとして定着していく。

気負いのない素直な振舞いは、時にやる気がないとバッシングを受けることもあったが、翔子はWink時代を通して音楽に打ち込み、挑戦を重ねてきた。アルバムのソロ楽曲では、ノーランズジョン・レノンベット・ミドラーチャカ・カーン等、海外アーティストのカヴァーを積極的に取り上げ、歌手としての表現の幅を広げる(「#Wink時代のソロ楽曲」を参照)。

さらに、中期以降は、アルバムごとに自作曲を発表するようになる。1993年のアルバム『Αφροσιτη(アプロデーテ)』に収録された『おしえて』は、しっとりとしたバラードの曲想にのせて、切ない恋心を歌い上げた佳曲である。また、1994年のアルバム『voce』に収録された『裸足のマリオネット』は、ボサノヴァ志向を明らかにし、後のソロ活動を予見させるものとなった(「#Wink時代の自作曲」を参照)。

1995年3月、ソロプロジェクトに着手する。そして、ソロ活動とのけじめをつけるため、1996年3月、Winkとしての活動を停止する。アイドルユニットとしては異例の長期にわたるWink時代の8年間は、早智子との厚い友情と周囲の熱意に支えられたものであり、自らの芸能活動の原点となったWinkについて、翔子自身はとても大切な宝物みたいな存在だと語っている。

Wink活動停止直後の2年間は、マイペースな音楽活動に没頭した時期である。音楽雑誌のインタビューや地方FM局のパーソナリティを除いて、テレビ等のメディアにほとんど登場していない。したがって、この時期の活動成果は、全曲自作曲による2枚のソロ・アルバム『JÓIA』(1996年5月)、『Luz』(1997年5月)に集約される。

この時期、翔子が自分自身と向き合い、安らげる音楽を求めて模索を続けながら、辿りついたのはボサノヴァであった。セルジオ・メンデス、ベン・ウィットマンのプロデュースを得た『JÓIA』は、ボサノヴァを基調とする本格的なアコースティック・サウンドを目指した意欲作である。

しかしながら、これらのアルバムは必ずしも一般受けするものとはいえず、商業的な成功をおさめることはできなかった。この時期の活動について、本人はアーティストであることにこだわり過ぎていたという。そして、表現者である限り、恥をかいてもいいから、もっと自分を表に出していこうと決心する。この強い決意がバラエティ番組等への進出の契機となる。

1998年11月、TBS系のテレビ番組世界ウルルン滞在記』に出演、旅先での思い切りのよいレポートは好感をもって迎えられ、1999年4月からは同番組の司会に起用される。また、2000年7月には日本テレビ系の『踊る!さんま御殿!!』にゲストとして出演し、天然ボケといわれる独特のキャラクターで注目されるようになる。

以降、『笑っていいとも』、『メレンゲの気持ち』等、数々のバラエティ番組でレギュラーを務めるとともに、『花とアリス』、『七色のおばんざい』等の映画ドラマにも出演し、女優・TVタレントとしても幅広く活躍している。

また、音楽活動も精力的に展開しており、地中海地域の音楽をカヴァーしたアルバムを発表したり、2004年以降『晩餐ライブ』と題してライブを開催している。現在は芸能事務所「アップフロントエージェンシー」に所属し、地中海レーベル(アップフロントワークス・販売はソニー・ミュージックエンタテインメント)からCDをリリースしている。

2006年10月28日公開の映画虹の女神 Rainbow Song』には、年下の主人公を翻弄する恋人役で出演。もう若くはないことを自覚し、年齢を偽ってでも可愛いらしく振舞い、主人公の気を惹こうとする女の悲しい性を丹念に表現する。キネマ旬報2006年11月下旬号では、「年齢不詳の女の持つ迫力をまざまざと見せつけてくれたのは衝撃ですらあった」と評される。

また、舞台出演にも積極的で、2007年9月に大阪松竹座で公演された『蝉しぐれ』(藤沢周平原作)では、幼馴染である主人公への一途な想いを抱きつつ、藩主の側室となったお福役を熱演し、2008年1月には、日本モンゴル親善特別公演『ジンギスカン~わが剣、熱砂を染めよ~』に、主人公のライバルの許婚でありながら、互いに惹かれあう主人公とそのライバルとの対決に心を痛める女性として出演することが予定されている。

父、母、姉の4人家族で、「ユーモアがあって冗談をよく言う父、いつも明るく太陽のように笑っている母、親友のような姉」という。家族思いで、母を亡くした直後に出演したテレビ番組では、「還暦を迎えた母のために開いたパーティーで泣いて喜んでくれた」と涙ながらに語っている[2]

子供の頃は、やんちゃでイタズラ好きだったという。3歳の時、肥溜に落ちて偶然通りかかった姉と友達に助けられたことは、トーク番組でよく話題にされる[3]

おっとりとした外見とは裏腹に、仕事に対してひたむきな姿勢を示す。「表現者として歌を歌うことやお芝居を演じることは、多くの人に夢を与えるものでないといけないと思う。そのためには、大袈裟かもしれないけど、命がけなんです」という[4]。音楽に対するこだわりも強く、女優、司会業など幅広く手がけるようになっても、自分のベースにあるのは音楽であり、「不器用な性格だからこそ、音楽という表現方法は欠かせないものなんです」という[5]

その一方、子供の頃から引っ込み思案で人見知りが強く、人前に出るのが苦手だったため、自分は芸能界には向いていないと思っていたという[6]。Wink時代末期には、疲労とストレスの連続から突発性難聴になり、自信を失って引退を考えたことや、ソロ活動をはじめてからも、周囲に迷惑をかけているのではないかと心配で、落ち込むことが多かったことなども素直に告白している[7][8]

女優、歌手、タレントに及ぶ自らの芸能活動について、テレビ番組への出演は、素の自分を表現できる場として大切にしたいという。また、自分で曲を作って歌うことは、うまく口に出せない感情も表現できるので、ライフワークとしてずっと続けていきたいという[9]。一方、ここ数年はバラエティ番組への出演が減っており、女優としての活動が目立ってきている。「今は本当に恵まれた環境で仕事ができることを実感しているんです。でも、もっと追いこまれる場所で仕事をしてみたい。大きな壁にぶつかってそれを乗り越えることで、自分自身も見えてくるし、周囲からも理解されると思うから」という[10]

バラエティ番組等での天然ボケ発言について、本人は、極度の上がり性で、緊張すると頭の中が真っ白になってしまうからだという。その一方で、受けを狙っていることも半分ある、そのためにネタ帳も作っているという。天然ボケと言われることについて本人は否定的だが、私生活においても、扉に顔をはさんだり、階段からよく落ちるなど、天然ボケに関するエピソードには事欠かない。
個性的な趣味の持ち主であり、夢中になると自分の世界に入り込んでしまう性格である。
  • 料理:食べるのも作るのも大好きで、仕事柄外食が多いときは、自宅では野菜をたっぷり煮込んで体に優しい食事を心掛けているという。お酒も好きで、ブランデーウォッカを使って自家製の梅酒を漬けており、作家の島田雅彦と料理本について対談したこともある[11]
  • ホームパーティー:友人を自宅に招いて、手料理でもてなすのが好きだという。友人からリクエストが多い得意料理はマグロの漬け丼で、友人とわいわい騒いで思い切りはじけるのが元気の素なのだという。
  • 着物:和服を自然に着こなせるように普段から浴衣で過ごすこともあるという。ドラマのほか、写真集や着物雑誌等でも艶やかな和服姿を披露している。
  • 裁縫:ソロ活動を始めた頃に着古したジーンズで作ったパッチワークのクッションは、いつも移動用の車の内に置いている。ぎゅっと抱きしめることがある、苦楽を共にしてきた最高の「癒やしグッズ」だという。
  • 陶芸2007年の春に友人に誘われて陶芸をはじめる。ずっと憧れていた世界に足を踏み入れ、熱中している。和食器が好きで、自作のお皿に創作料理を盛り付けることが一番の夢だという[12]
  • インテリア:自分好みの部屋作りが得意で、自宅は部屋ごとにカラーを変えている。リビングルームは木の質感を生かしたアメリカン・カントリーテイスト、ベッドルームは籐(トウ)の家具とかを置いてハワイアンにしているという。
  • 犬:以前飼っていたパグは樽子(たるこ)と名付けて、家族のように心から可愛がっていた。ペットを愛する著名人として、ネスレ・ピュリナ・ペットケアの第1回『ペットケア・アワード』を受賞している(2002年9月2日)。
  • プロレスクラッシュギャルズのファンで、中学生の頃には女子プロレスに憧れ、履歴書を書いて応募したこともある[13]。今でも女子プロレスを観戦しに行くことがあるという。
  • モデルガン:デビュー当時からガンマニアであり、モデルガンを30~40丁ぐらい持っていて、玄関に飾っていたこともあるという。
  • 流木拾い:海や山で流木や貝殻、木の蔦等を拾って集めるのが好きで、自宅にもオブジェにして飾っている[14]テレビ番組でも、熱海で流木拾いに熱中する姿が紹介されたことがある[15]
    美容も健康もあせらず体の内側から整えるのが大切だという。美肌のため、毎日ヨーグルトにシークヮーサー果汁をかけて食べることと、半身浴でしっかり汗をかくことは欠かさないという。また、週に一度はスクラブ洗顔(古い角質を落とす顆粒の入った洗顔料を使う)、毎日常温か冷水で洗顔して肌を引き締めるようにしている。サランラップを顔に巻いて半身浴する小顔美容法をテレビ番組で紹介したこともある。
    人見知りなので、仲良くなるのに時間がかかるが、打ち解けるとすごく仲良しになるという。また、人の話は聞かずに、自分の話ばかりしてしまうので、つきあってくれる友人にはとても感謝しているともいう。友人を大切にする優しい性格は、幼稚園時代からの親友に対する感謝の気持ちを綴った手紙にもよく表れている[16]芸能界では、島崎和歌子鈴木蘭々KABA.ちゃん飯田圭織などと親しい。また、ヘアメイクを担当しているIKKOとはプライベートでも親しく、心の師匠だという。 高校2年の夏休みに、サイクリング部の先生の引率で、3人の友人とともに、苫小牧から東京まで16日間の自転車旅行をしたことは、高校時代の忘れ得ない思い出だという[17]。その時の恩師が、高校を定年退職後、中国北京外国語大学留学し、中国版「ロミオとジュリエット」と言われる「梁山伯祝英台伝説」について調査・研究を行い、『梁山伯祝英台伝説の真実性を追う』という本を出版した渡辺明次で、翔子はその本に推薦の言葉を寄せている[18][19]

逆援助 不倫 メル友 出会い
PR
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリー
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ * [PR]