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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジャングル大帝』(じゃんぐるたいてい Kimba the White Lion)は、手塚治虫の漫画およびそれを原作とした一連のアニメ作品。

大阪在住の医大生時代は単行本の描き下ろしを中心として来た手塚治虫が、中央で本格的なデビューを飾ったのが本作である。学童社の月刊漫画誌「漫画少年」に1950年11月号から1954年4月号にかけて全43回を連載した。本来は『密林大帝』として単行本で描き下ろす予定だったのが、上京して偶然訪れた学童社において加藤謙一編集長の奨めで連載することになった経緯を持つ。連載開始時は4ページ、第2回からは扉ページのついた10ページに拡大になり、連載中は最大で16ページになるなど「漫画少年」の看板作品として君臨。以後の手塚は、単行本描き下ろしから、月刊漫画誌に仕事を切り替え、大学卒業後は漫画家に専念。1952年に『鉄腕アトム』を「少年」で連載を始めるまで、少年誌での手塚の代表的な仕事が本作である。4度にわたりアニメ化され、プロ野球球団「西武ライオンズ」に本作のキャラクターが採用されたことで、世代を越えた認知度を持つ。大のディズニーファンである手塚が、ディズニーのアニメーション映画『バンビ』に影響を受けて本作を描き、後にディズニー本家がアニメ版『ジャングル大帝』で育ったクリエイターによりアニメ映画『ライオン・キング』(1994年公開)が制作されたのではないかと指摘されたことでも知られる。

「白いライオン」というアイディアは、手塚がかつてライオンの水彩画を依頼された際に白熱灯の下で彩色したところ、電灯の光のために、できあがってみたら色がきわめて薄くて没になった失敗談が発端という。ジャングルを舞台とする趣向は、手塚が少年だった1930年代初めにターザン映画などを代表とする秘境冒険映画、猛獣映画など人気を呼んだアメリカ映画の影響が指摘されている。具体的には、レオの父親パンジャの名前は1934年の『パンジャ』という猛獣狩り映画(「ジャパン」を前後入れ替えたアナグラム的な命名という説も一部にある)、設定は1933年の『密林の王者』などである。また、第二次世界大戦後の1950年代の日本で再びターザン映画が封切られて、その当時の日本の子供向け漫画や絵物語では、ターザンものやジャングルものは最もポピュラーなジャンルの一つであった。

手塚の名を高め、1954年に「漫画少年」誌上では完結していた『ジャングル大帝』だったが、単行本では長く未完のままだった。連載中の1951年と1952年に出された学童社の単行本はもちろん、1958年の光文社の手塚治虫漫画全集は4巻までと途中で刊行が中断し、ストーリーの完結までを読むことは出来なかった。テレビアニメの放映とともに1966年から1967年にかけて刊行された小学館のサンデーコミックスで、連載以来13年目にしてようやく単行本として完結。しかし前半部分を中心にオリジナルの原稿が紛失していたため、かなりの部分を描き直している。以後、小学館の手塚治虫全集(1969年~1970年)、文民社の手塚治虫作品集(1976年)が出版され、1977年の講談社の「手塚治虫漫画全集」が定本となっている。

「漫画少年」連載のオリジナル版は、印刷された「漫画少年」を版下として、1990年から1992年にかけて、手塚治虫ファンクラブ京都の「ヒョウタンツギタイムス」から復刻する試みが行なわれた。

  • 『ジャングル大帝(全2巻)』学童社
  • 手塚治虫漫画全集『ジャングル大帝(全3巻)』光文社
  • サンデーコミックス『ジャングル大帝(全5巻)』小学館
  • 手塚治虫全集『ジャングル大帝(全3巻)』小学館
  • 手塚治虫作品集『ジャングル大帝(全1巻)』文民社
  • 手塚治虫漫画全集『ジャングル大帝(全3巻)』講談社
  • 手塚治虫漫画全集『レオちゃん(全1巻)』講談社
  • 手塚治虫初期漫画館 『ジャングル大帝(全2巻)』名著刊行会
  • カラーコミックス『ジャングル大帝(全3巻)』小学館
  • ほるぷ版手塚治虫選集『ジャングル大帝(全2巻)』ほるぷ出版
  • 手塚治虫まんが絵本館『ジャングル大帝(全2巻)』小学館
  • ノーラコミックスデラックス『ジャングル大帝(全2巻)』学研
  • 『ジャングル大帝(全2巻)』小学館
  • 小学館文庫『ジャングル大帝(全2巻)』小学館
  • サンデー・コミックス『ジャングル大帝レオ(全2巻)』秋田書店
  • 秋田文庫『ジャングル大帝レオ(全2巻)』秋田書店
  • 小学館ぴっかぴかコミックス『ジャングル大帝レオ(全2巻)』小学館

    フジテレビ系列で1965年10月6日~1966年9月28日まで全52話を放送。日本国産初のカラーテレビアニメシリーズとされることが通例だが、『ジャングル大帝』以前に1965年4月から、カラーによるテレビアニメ『ドルフィン王子』が放映されている。しかし、全3話に過ぎなかった為、余り話題にならず、忘れ去られて行った。しかも本格的なカラーテレビアニメのシリーズは本作という評価が一般的である。

    スポンサーは三洋電機が「サンヨーカラーテレビ劇場」と銘打って一社提供を行い、自社製品であるカラーテレビ購買需要を喚起するソフトとして活用した。漫画連載は10年以上前であり、テレビアニメ黎明期であるため俗悪番組のそしりを避けるべく、『鉄腕アトム』と同じく、手塚漫画の中では「よい子」の代表格であるレオに白羽の矢が立った。レオの理想主義は教育者の支持を得て、日本PTA全国協議会、教育者懇談会の推薦番組に、番組向上委員会の青少年向け推奨テレビ番組に選定された。

    予算は1話250万円、総額1億2千万円の制作予算が組まれ、並行して放映する『鉄腕アトム』は外注プロダクションを多く使うことにし、『ジャングル大帝』には虫プロダクション生え抜きの主流スタッフを投入。虫プロの社員スタッフで制作されることになった。ただし、手塚治虫は制作現場から外された原作者という立場に過ぎず、『鉄腕アトム』『W3』のような手塚のチェックは入っていない。これはプロデューサー主導による予算管理に基づく制作体制を取ることで、虫プロが赤字体質から脱却することを意図した広告代理店出身の穴見薫虫プロ常務による改革の一環だったと言われる。音楽は音響監督の田代敦巳の推薦で、冨田勲に決定。後のテレビアニメでは制作予算の都合で事前に一括で何十曲を作曲するの対して、ミュージカルの要素が組み入れられた本作では、画面に合わせて1本ずつ作曲、録音する工程が取られた。本作のレコードは日本コロムビアが発売した。それまでアニメの主題歌はソノシートで発売されるもので、虫プロダクションも朝日ソノラマからソノシートで主題歌を出していた。シングル盤で出されたのは本作のレコードが初である。日本コロムビア専属歌手だったポップス歌手弘田三枝子が歌うエンディング主題歌「レオのテーマ」は10万枚弱のヒットを記録した。また、挿入歌集『ジャングル大帝 ヒット・パレード』と『交響詩 ジャングル大帝』の2枚のLPレコードで販売されたのもこれが日本初となっている。日本コロムビアの小学校の鑑賞教材にも使えるレコードという発想で制作された『交響詩 ジャングル大帝』は1966年の芸術祭の音楽部門に参加し、奨励賞を受賞した。

    2006年3月~5月にカートゥーン ネットワークで再放送された(その後も数回放送されている)が、第8話「きちがい雲」はこのサブタイトルが現在は放送禁止用語に抵触するため放送されなかった(それ以外は原版のまま放送されている)。DVD-BOXには収録されており、単品の「ベストセレクション 白い獅子編」(品番COBC-90197)でも見ることができる。

    フジテレビ系列で1966年10月5日~1967年3月29日まで放送。『ジャングル大帝』の視聴率は20%以上を獲得し、内容的にも各賞を受賞する好評に、続編として主人公レオが大人となり、家族を持った設定で、原作の後半部分をアニメ化した。これは1年目は子供時代編に、延長した場合は2年目からは大人時代編とする手塚の構想に基づいたもの。しかし、裏番組が日本テレビ系列の円谷プロ・東宝製作である「快獣ブースカ」であったため、視聴率は低迷し、15%を割ったことから、半年で打ち切りになった。物語もスポンサーと対象年齢の兼ね合いから、原作とは異なるハッピーエンドに変更された。アメリカでもNBCが購入することはなく、1984年になって宗教チャンネルの Christian Broadcasting Network が『Leo the Lion』のタイトルで放送された。

    • オープニングテーマ「ジャングル大帝のテーマ」作詞・作曲:三木鶏朗編曲:冨田勲 歌:ハッピー・ビーン
    • エンディングテーマ「レオのうた」作詞:辻真先作曲:冨田 歌:弘田三枝子
    • テレビ東京系列で1989年10月12日~1990年10月11日まで放送。番組表では途中から『手塚治虫の新作アニメ ジャングル大帝』と表記された。

      企画は1987年にスタート。『青いブリンク』『森の伝説』と並び手塚治虫本人が最後に手がけたアニメの一つ。平成元年度第14回文化庁こども向けテレビ用優秀映画奨励作品。レオが人間の言葉を喋らない設定になり、ストーリーも1話が原作の第1部を使っていること以外はオリジナルとなっている。

      本作を巡っては、黒人描写をめぐって差別だとして抗議を受ける問題が起きている。1990年9月に「黒人差別をなくす会」より、手塚作品の黒人描写が差別と偏見を助長すると抗議して「善処」を求める内容の内容証明が手塚プロダクションを始めとして、手塚作品を出版する大手出版社に送られた。これを受けて、東京、名古屋、神戸で開催されていた「手塚治虫展」では、『ジャングル大帝』のパネルを撤去し、パンフレットから黒人の部分を削除して差し替えがなされた。当時の「黒人差別をなくす会」は、鳥山明の『Dr.スランプ』、佐藤正の『燃える!お兄さん』など、手塚以外の漫画にも同様に抗議を行い、それらの作品では指摘された黒人の部分を描き変える形の対処が取られたが、既に作者が故人となっていた手塚治虫作品の場合は、描き直すことが不可能であった。そのため、手塚プロダクションでは、1990年12月までに講談社の「手塚治虫漫画全集」の全巻を出荷停止したのを始め、その他、7社の出版社から出されている手塚の単行本のうち黒人が描かれているもの全てを一時的に出荷停止する処分が取られた。その後も、「黒人差別をなくす会」からは定期的に抗議文が送付されて来る中、描き直しが無理のため絶版処分とする処置も浮上したが、1992年春に講談社社員の発案で、手塚が故人であることと描かれたその当時の時代背景を示すものであるとする断り書きを巻末につけて理解を求めることに決定。『ジャングル大帝』を始めとする手塚作品の再出荷を開始した。1993年には日本アフロ・アフリカン協会からも抗議を受けたが、手塚プロダクションと出版社を交えて対話が行なわれ、断り書きをつけることで基本的合意が得られている。以後も「黒人差別をなくす会」からは定期的に抗議が寄せられているというが、これがきっかけとなって、黒人が登場するしないに関わらず手塚作品が出版される際は断り書きを巻末につける形が通例となっている。

      手塚治虫ファンクラブ京都は、1990年8月に手塚プロダクションの許諾を受けて、会報「ヒョウタンツギタイムス」誌上で「漫画少年」連載のオリジナルの『ジャングル大帝』の復刻を開始。大手出版社と手塚プロダクションへの抗議に続く形で、1990年10月に『ジャングル大帝』が人種差別とする「黒人差別をなくす会」から抗議文が到着したが、手塚治虫ファンクラブ京都はこれに納得せずに刊行を続行。大手出版社の黒人描写がある手塚作品が出荷停止となっていた時期も、手塚治虫ファンクラブ主宰者は、手塚治虫ファンクラブ京都の名を外して、手塚プロダクションとは関係ない形で、1992年3月までかけて復刻を完了した。

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